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設立当初の全通研大分支部の活動②

全通研大分支部が昭和55年に結成され、57年から支部長になり県内各地での出前研修会や会員拡大のために大道のろうあ会館で公開学習会を開催していました。
この57年当時の会員は30名程度でしたが徐々に増えて数年後には50名を超えてきたと思います。

公開学習の内容は
①手話の理論的学習 ②ろうあ協会事業 ③手話通訳技術研修(手話表現、読み取り④各場面に応じた手話通訳 ⑤ボランティアに必要な知識 ⑥参加者同士の交流 ⑦社会福祉の基礎から応用 ⑧基礎的通訳事例研修 ⑨手話学習者に必要な理論と基本的姿勢 ⑪通訳場面で生じた問題と対応と知識 ⑫手話を学ぶ健聴者に求められるもの(ろうあ協会役員))⑬大分の手話方言 ⑭手話講習会内容充実のために等と幅広い内容でした。  NASU
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by zentsuken2011oita | 2011-06-14 06:31 | 全通研大分集会シリーズ

設立当時の全通研大分支部①

全通研支部設立後3年が経過して会員36人という状況で会員拡大のために手話サークル会員や
手話講習会受講生に加入を呼び掛けていました。
文章から分かるように①地域的な学習会の開催 ②県手連との共催で手話研修会開催予定 ③年間4回程度の学習会 ④機関誌の発行等が主な活動となっています。
ただ、会員拡大も重要だが支部活動の充実が先決問題との活動方針を出しています。
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by zentsuken2011oita | 2011-06-13 06:14 | 全通研大分集会シリーズ

協会の歩み③大分県聴力障害者福祉会館時代

 大分県聴力障害者福祉会館時代(昭和46年4月~昭和61年3月) 

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昭和46年には県の補助により「大分県聴力障害者福祉会館」が建設された。全国的にも早い時期に協会事務所を確保したことは、その後の大分県のろうあ運動に大きな影響を与えた。この種の利用施設に公的補助がなされたことは全国的にもまれなことであり、注目される成果でもあった。

 この「大分県聴力障害者福祉会館」に県の委託事業として「聴力障害者相談員設置事業」を受託。聴力障害者相談員が昭和46年から設置され、行政との事務処理や会員活動の事務等が行える体制が整った。その後の昭和49年には2階部分を増築し、会員総会等も開催できるフロアを確保できた。1階部分には宿泊できる部屋もあり、独身ろう者が生活していた時代もあったが、その後民間のアパート等への希望者が増え、1階で生活するろう者はいなくなった。

 いずれにしてもろう者が気軽に集える場所が確保できた意義は大きく、各種の相談も徐々に寄せられるようになった。県からの委託事業である手話奉仕員養成事業(昭和46年)やろうあ者日曜教室(昭和47年)の会場としても使用されるようになった。また、手話サークルの定例会場としても使用され、ろう者と手話学習者の交流の場としても使われるようなり手話通訳者養成の場としても重要な役割を果たした。
 
 この会館を拠点にして協会役員の会議が開催され、県協会主催の会員向け事業や各種の運動も企画されるようになった。会員の拡大にもつながってきており、各種の活動や運動の促進がなされた時期であった。
 新年文化講演会の開催、運転免許取得のための街頭ビラ配り、署名、カンパ活動、県内の主要機関に手話通訳者設置の要望、テレビ局に手話・字幕挿入を要望、県知事選や市長選の立ち会い演説会に手話通訳を付けた。
                               
 昭和50年には県下で初の手話通訳者を大分市役所に設置、昭和52年には大分市役所にろうあ者相談員を設置等、様々な成果を残した時期である。
 ろうあ運動を推進していくために必要な条件は様々だが活動の拠点として協会事務所ができたことと、事務処理を行う人が配置されたことには大きな要素と言える。
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<S49.10 ろう者の運転免許取得通訳>    
 その後昭和56年の国際障害者年を契機にいわゆる手話ブームが到来し、県下各地で手話講習会が誕生、その修了者を中心として手話サークルが結成されるようになる。
 この当時の協会の主な事業としては大分県からの委託事業(手話奉仕員養成事業・手話奉仕員派遣事業・ろうあ者日曜教室開催事業・聴力障害者相談員設置事業)と県下市町村からの手話講習会の委託事業が中心であった。職員は聴覚障害者相談員1名体制だった。
 一方会員向けの活動も活発化してきた時期であり、青年部、婦人部、老人部活動や手話劇「ピエロ」の活動等が積極的に行われ、一般市民に手話やろうあ者の活動が浸透していった時期である。

<S59 第4回全国ろうあ者演劇祭典ピエロ 「泣いた赤鬼」で出演> 
 この時期、県庁へ手話通訳者が設置され、他の市役所にも手話通訳者が設置されるようになったことにより行政への手話通訳者設置体制の基礎が整いつつあった。
 その後昭和61年に大分県総合社会福祉会館が建設されることになり、聴力障害者福祉会館にとどまるか新しい福祉会館に入居するかの決断を求められることとなった。最終的に建物の老朽化や利用者の減少、会館の維持費等の問題を考えて福祉会館に入居することに決定した。
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by zentsuken2011oita | 2011-06-12 05:42 | 運動と協会事業

友情の蛍

「友情の蛍」竹田小、大分市の施設へ
[大分合同新聞 2011年06月11日 より引用]

 竹田小の児童(右)からホタルを受け取るあけぼの学園と清明学園の代表=11日午前
 竹田市竹田小学校(下田博校長、139人)の6年生約20人が11日、e0209208_189619.jpg大分市東大道のろうあ児施設「あけぼの学園」と盲児施設「清明学園」(いずれも中川隆博園長)を訪れ、地元で捕まえた約380匹の「友情の蛍」を贈った。

 竹田市の旧明治小と両学園との間で長年行われ、統合後の竹田小が引き継いだ恒例行事で、今年で59回目。贈られたホタルは学園の子どもたちが飼育して卵を産ませ、幼虫にふ化させた後、竹田小へと“里帰り”させている。

 この日は、学園で受け渡し式があり、竹田小の代表がホタルの入ったケースを手渡した後、児玉志保さん(11)が「皆さんがホタルを見て喜んでもらえることを楽しみにしながら捕まえた」とあいさつ。
 あけぼの学園代表の比嘉宗太さん(17)=県立聾(ろう)学校高等部3年=は「学園の近くにはホタルがいないので、毎年楽しみにしている。みんなで大切に育てます」と話した。

1984.7.15大分合同新聞 記事
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by zentsuken2011oita | 2011-06-12 05:40 | 秘密でない県民シリーズ

宇佐からあげ

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宇佐市の観光地としては「全国の八幡宮総本宮でもある宇佐神宮」や「双葉山生家の双葉の里」をはじめ多くの名所旧跡が数多くあります。
今回は宇佐市の美味しい「からあげ」を紹介します。
我が家もみんなからあげが大好きです。大体どこの家庭もお気に入りお店があります。
写真は我が家がいつも食べているからあげの写真です。
食べたことの無い方は是非一度ご賞味あれ、たちまちやみつきになること間違いなし。 宇佐市  松本
から揚げ探検隊マップ→コチラ  

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 【大分合同新聞より引用】
空揚げ専門店発祥の地とされる宇佐市にちなみ、コンビニ大手のローソン
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(本社・東京都)は7日、全国約8800店舗で、同市の専門店に多いしょうゆダレ味を再現した「からあげクン・大分宇佐しょうゆダレ味」の販売を始めた。同市や中津市の専門店が東京に進出して空揚げがブームとなる中、ご当地空揚げの第1弾として取り上げられた。同日は「宇佐からあげを全国に発信する絶好の機会」と、宇佐市で発売記念のミニイベントもあった。
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by zentsuken2011oita | 2011-06-11 07:59 | 大分の名産シリーズ

AKB48総選挙

全通研や大分の運動の歴史などまじめな話題が続いていた時に
なんでAKB?と思われるかもしれませんが…(^^ゞ

昨年の19位から今回9位に躍進した”指原莉乃”(さしはらりの)さんは
大分県の出身。
テレビに出ると「私、大分県の出身なんです。」と九州の中でも地味な
大分県を宣伝してくれます(^O^)/



私たちも、おもてなしの心で、
大分県をアピールしましょう(*^^)v
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by zentsuken2011oita | 2011-06-10 00:03 | 秘密でない県民シリーズ

第7回大会 青森県 1974年

1974年に開催された青森大会のメインテーマは「手話通訳の制度化をめざそう!すべての健聴者に手話を広めよう!」でした。
この年に全国手話通訳問題研究会が結成され、全通研の結成集会となった。
青森大会287名参加。山口支部が1番目の支部として結成される。

【1974年の大分県】
★本協会定期総会開催 終了後会館増築祝賀会開催 ※東大道の聴力障害者福祉会館2階増築
★自動車運転免許取得希望者を募集しテストケースとしてろう者3名入学。はぐるま会員が手話通訳として支援。
★手話劇「瓜盗人」公演。以後手話劇団「ピエロ」に結びつく。
★第1回大分県手話研修会が開催される。
                    【弘前城】
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by zentsuken2011oita | 2011-06-09 07:30 | 全通研大分集会シリーズ

協会の歩み②ろうあ者授産場時代  

ろうあ者授産場時代 (昭和25年~昭和46年)

 そして、昭和25年には大分市大道町にろうあ者授産場が設置された。当時の入所者は8名であり、木工の技術指導をしていた。
 当時の協会事務所は授産場内に置いていたが同年に授産場と同じ敷地内に移転した。協会の事務については土屋会長が中心に行っていた。

 
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遠方のため聾学校に通えない児童のために昭和23年に「あけぼの学園」が設立された。当時は約130人が入寮しており、寮の生活は6時30分に起床、7時10分体操、挨拶、7時20分に朝食、7時50分に聾学校へ登校。入浴は週に3回で低学年は保母と一緒に入浴していた。幼児の衣服は保母が洗濯し、小学校高学年からは自分で全て洗濯するように決められていた。

 あけぼの学園で生活していたろうあ者にとってあけぼの学園の思い出は限りなくあり、今でも同窓会等が開かれたらあけぼののことが話題になり盛り上がる。
 このあけぼの学園での共同生活の中でろう者同士の連帯感が育まれ、卒園後に先輩から誘われて聴覚障害者協会の会員に入るという例も多く見られた。
            
 あけぼの学園といえば小説「5,000匹のホタル」の中でも取り上げられているように昭和28年に竹田市立明治小学校からあけぼの学園に数千匹のホタルが送られた。
今でも「友情のホタル」として毎年ホタルが送りつづけられている。昭和34年からはあけぼの学園でホタルの人工孵化を行い、竹田の川に放流するようになった。
                
<当時は会員の親睦的な行事が中心で家族そろって参加している> 
 昭和28年には第4回全国ろうあ者大会が別府市で開催され、この時に3月3日を「耳の日」とするように提案している。   
この全国大会を大分県聾唖協会が成功させたことにより、全九州ろうあ連盟に加盟する他の協会の励みとなった大会でもあった。
昭和31年には県から補助金の交付を受けて「県聴力障害者授産所」が正式に開所した。この年に県協会事務所に全九州ろうあ連盟事務所を併設しており、九州のろうあ運動の重要な役割を担っていた。
 そして、昭和32年には土屋会長が全日本ろうあ連盟の副連盟長に選任され、以後昭和48年まで在任している。このことにより全国的な情報をいち早く大分協会が把握することになり、その後も土屋会長が大分のろう運動のリーダーとして会員を導いていった。行政との交渉も積極的に行っており、その後の大分のろうあ者福祉に大きな成果を残している。

 昭和36年には第1回耳の日記念大分県ろうあ者福祉大会を開催した。平成22年現在まで43回開催され、県協会の各地区協会を主管として持ち回りで開催している。この耳の日大会を通して市民啓発を進めると同時に地区聴覚障害者協会会員が結束して大会に向けて準備していく過程の中でそれぞれが大切な経験をする意義深い大会となっている。昭和50年代後半からは手話サークルが県下で誕生してきたことにより、手話サークル会員も耳の日大会実行委員に加わるようになり、ろうあ者と健聴者が連携して大会に向けて取り組んでいく傾向が見られるようになった。
昭和46年以前は県ろうあ協会へ行政からの委託事業はなく、会員相互の親睦的な行事が中心で一部の役員が中心的に活動していた
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by zentsuken2011oita | 2011-06-08 07:24

頸肩腕障害

激務改善なく…手話通訳者、5人に1人が「頸肩腕障害」   
【産経新聞2011.6.4 より引用】

 耳が聞こえない人に言葉を手話で伝える「手話通訳者」の約8割が肩凝りを訴え、5人に1人が「頸肩腕障害(けいけんわんしょうがい)」を発症している可能性が高いことが、「全国手話通訳問題研究会」(京都市)の調査で分かった。20年前と比べほとんど改善していない。手話通訳者は首相会見の同時通訳など専門性が高いが、見た目以上に仕事はハードだ。研究会は、仕事の質の割に待遇と人手が十分でないことが原因とみている。

 頸肩腕障害は、同じ姿勢のまま繰り返し手を使い続けることで、凝りやしびれに加え体のだるさや吐き気、睡眠障害などを引き起こす職業病。手話通訳者のほか、保育士やOA機器を使う会社員も発症する。

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調査は昨年9月、全国の手話通訳者1535人を対象に実施。首、肩、腕、手のどこかに常に痛みやしびれを感じている手話通訳者は20.2%で、10年前の調査(20.4%)の横ばい。20年前(24.2%)からも改善されていなかった。

 また、痛みやしびれを伴う頸肩腕障害の前兆となる凝りは「いつも」と「時々」を合わせると肩79.8%、首68.0%にのぼったほか、目の疲れを訴える人も77.8%にのぼった。

 研究会の森川美恵子理事は「専門的な仕事なのに、待遇が悪く、なり手がいないから、特定の人に仕事が集中する。健康問題を解決するには、社会の理解が欠かせない」と話している。

【用語解説】手話通訳者

 健常者の話を手話に変え、聴覚障害者の手話を話し言葉に置き換える専門職。手話通訳技能認定試験を合格した厚生労働大臣公認の「手話通訳士」のほか、都道府県などに認定される人もいる。今年2月1日現在の手話通訳士は2614人。
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by zentsuken2011oita | 2011-06-07 05:13

第2回熊本県 1969年

第2回大会は熊本で開催されています。
当時は「わたしたちの手話1」が発行された年であり、国の手話奉仕員養成事業開始前です。
翌年に手話奉仕員養成事業が開始されています。

熊本県のろうあ者組織は昭和23(1948)年「全熊本ろうあ協会」として第1回総会開催と同時に発足。
当時、当面の事業指針に(1)法人化すること(2)ろうあ会館建設があげられています。
ろうあ会館事業は、昭和26(1951)年11月30日、熊本市出水町今井戸(現熊本市水前寺6丁目9番4号)に「熊本ろうあ会館」として落成。

当時ろうあ者独自の事務所を持っている協会は少なく、その後の運動の拠点としての役割を果たした役割は
大きいと思います。

第2回手話通訳者会議
そのような土壌があったから第2回大会を熊本で開催できたのだと思います。
 熊本大会61名参加

【1969年の大分県】
★大分市で開催されている新年会は別府市開催されることが多かった 白さぎホテル参加者37名
★青年部、青年部結成式を県聴力障害者授産場で開催
★当時は定期総会をろう学校で開催 参加者145名

                  【熊本城】
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by zentsuken2011oita | 2011-06-06 05:38 | 全通研大分集会シリーズ