2011年 05月 19日 ( 1 )

広瀬 淡窓

広瀬淡窓(ひろせたんそう、天明2年4月11日(1782年5月22日) - 安政3年11月1日(1856年11月28日))は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。

咸宜園は、文化14年(1817年)に広瀬淡窓が開いた私塾の跡です。
国指定史蹟になっています。
淡窓は、士農工商の身分制度があった時代に身分に関係なく広く門戸を開き、高野長英や大村益次郎など、淡窓が没するまでの50年間に全国66カ国から集まった約三千人の門弟を教育したそうです。

咸宜園の咸宜(かんぎ)という言葉は「皆よろし」という意味があり、身分に関係なく誰でも入門でき、本人の努力次第で昇級できるという平等の精神が込められているそうです。
咸宜園では身分に関わらず学ぶ機会を与え、それぞれの個性を重んじた教育をしたそうです。素晴らしいことですね。

淡窓は号。通称は寅之助のちに求馬(よみはモトメ)。諱は建。字は廉卿あるいは子基。別号に青渓など。末弟に広瀬旭荘、弟広瀬久兵衛の子孫に、日田市長、衆議院議員だった広瀬正雄、その子息の一人広瀬勝貞は現大分県知事。
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by zentsuken2011oita | 2011-05-19 08:21 | 秘密でない県民シリーズ