協会の歩み④大分県総合社会福祉会館時代

大分県総合社会福祉会館時代(昭和61年~平成8年9月) 

 総合福祉会館の2階事務所に協会事務所を入居すると同時に専従職員を設置、協会事業を進めていく体制が整ってきた。この福祉会館には大分県身体障害者福祉センターが併設されており、体育館、温水プール、卓球室、機能訓練室、料理実習室、会議室等があり多くの協会会員が利用するようになった。  

 さらに身体障害者福祉センターには、県庁障害福祉課の専任手話通訳者が生活指導員として配置されるようになったため、協会事務所のみでなく身体障害者福祉センターにおいてもろうあ者の各種相談にも応じる体制が整ったとともにろうあ者が参加者しやすい各種教室も企画され、センター利用者の中でもろうあ者の利用が際立っていた。

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事業については県から新たにビデオライブラリー事業の委託が加わったとともに市町村からの手話奉仕員養成事業の委託事業中心に進められてきた。
会員対象に機関誌を毎月発行していく体制を整えた意義は大きく、会員に各種の情報を提供と共有化が図られ、会員相互の連携が促進させられた。
          
 そして、昭和61年から手話学習者を中心にした「賛助会員制度」を設け、年間3,000円の会費で毎月協会の発行する機関紙「豊の国聴障ニュース」を自宅に郵送するようにした。制度発足当時は数十人程度であったが数年後には700人程度に定着するようになった。
協会の事務局体制が整ってくることにより、協会の支部も4支部設立し、組織の強化が図られてきた時期である。

 平成5年には幅広い活動を目指し、難聴者や中途失聴者も入会しやすいように名称を「大分県ろうあ協会」から「大分県聴覚障害者協会」に変更した。 職員は聴覚障害者相談員1名と専従職員1名の2名体制で事業を進めてきた。市町村からの手話奉仕員養成事業委託拡大と機関紙の発行や会員向けの事業が充実してきた時期であり、また、聴覚障害者情報提供施設設立に向けて県聴覚障害者協会の社会福祉法人化や施設の建設に取り組みがはじまっていた。
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by zentsuken2011oita | 2011-06-15 06:41
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